人生論

欠けているピースは自分では埋められない

どれだけ稽古を重ねても、

どれだけ内観を深めても、

わたしは、いつも最後にこの感覚に戻ってきます。

「ひとりでは、すべてを埋められない」

人は、それぞれ美しく、完全な存在だと思います。

でも同時に、どこかに欠けている。

その欠けがあるからこそ、他者と出会い、学び、響き合えるのではないでしょうか。

わたしは姿勢を通して、「自分を整える」ことの大切さを伝えています。

けれど、整うというのは、決して“ひとりで完結すること”ではありません。

どれだけ自分を磨いても、ある日ふとした言葉に揺れたり、

他者のまなざしに心が救われたりすることがあります。

それは、自分では触れられなかったピースが、

他者の存在によって、そっと埋められる瞬間なのだと思います。

わたしも、そうやって支えられてきました。

そして、誰かの“欠け”に気づき、そっと差し出せる自分でいたいと願うようになりました。

稽古とは、自分と向き合う時間であると同時に、他者と呼吸を合わせる稽古でもあります。

誰かと立つ。

誰かと響く。

誰かと分かち合う。

その中で、自分では届かなかった深さに触れたり、かすかに空いていた隙間が、いつの間にか満ちていることに気づいたりするのです。

だから、無理に自分で全部を埋めようとしなくていい。

足りなさを抱えたままでも、姿勢は立つことができる。

むしろ、その“空白”が、あなたらしさをつくっているのだとしたら──。

わたしは、そういうあり方を大切にして生きていきたいと思います。

立芯《旅する姿勢家》

 

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欠けたままでも、十分に美しい。

それが、わたしたち人間という存在なのです。