人生論

立芯と天才の違い

世の中には、生まれながらにして優れた身体能力や感覚を持つ「天才」と呼ばれる人がいます。

その動きは美しく、正確で、自然でありながら、どこか人の理解を超えているように感じられることさえあります。

一方で、わたしが歩んできた道は、それとはまったく異なるものでした。

わたしの道は一度すべてを失った身体で、もう一度立ち上がること。

感覚も、力も、思うように動かない身体を前にして、何度も試し、整え、重ねていく。

そうして再び、自分の身体を創り上げていく過程の中に宿る智慧になります。

天才は、無意識にできてしまう。

だからこそ、なぜできるのかを言葉にするのが難しく、他者に教えることも容易ではありません。

その美しさの裏には、再現性の乏しさという盲点があります。

けれど、わたしの道は違います。

一つひとつの動きを拾い上げ、積み上げ、確かめていく。

失ったからこそ、そこに至る道のりを知っている。

それは、自分だけでなく、誰かのためにもなる道なのだと最近は特に感じています。

「どうやったらできるようになるか」

その問いに対して、明確に答えを持っています。

答えとはいっても、特別な方法や奇抜な技ではありません。

ただ、毎日立ち続けること。

ただ、呼吸を感じ、重さを受け止め、揺れながらも芯に戻ってくること。

そうして身体を再び育てていくなかで、自分の在り方そのものが変わっていくのです。

天才の道は、才能を授かる。

立芯の道は、芯を掘り起こす。

その違いは、見えにくいかもしれません。

けれど、時間をかけて積み重ねてきたものには、深い根があり幹があります。

それは、どんな風が吹いても折れない力になります。

わたしはこれからも、天才ではなく、芯を立て続ける存在で在りたいと思っています。

立芯《旅する姿勢家》

 

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あなた自身の芯が、誰かの灯となっていきますように。