過去スポーツに関わる一人の人間として怪我をするくらい練習をして一人前という指導を受けてきました。個人としては自己責任であり悔いはありませんが、親の目線から見てみるととんでもないことだと感じる今日この頃です。このことについての提案です。
先ず最初に言いたいことは、偶然怪我をしてしまうことと怪我することを前提に追い込むとでは前提が違います。
もちろん様々な運動があり、身体を酷使し鍛えていく中で偶然怪我することもあるでしょう。
職業病といった職種によってなりやすい怪我などには対処法があったり、怪我になりにくいような防止策が施されているところも多々見かけます。
ただ生温い練習は練習ではない。怪我をしない練習はただの甘えだ。
そういう指導者がいることも事実です。
昔は強豪と言われる所だけかとも思っていましたが、そうでもないことも最近わかってきました。
要は身体のことをよく知らない指導者が結果を出すためにとにかく練習量を増やす。
瞬間的には向上するにしても、生き残った人間だけの世界であり、その他大勢の怪我人の上に成り立つ形。
これを小学生、中学生、高校生といった若者に強いる環境。
これから先の人生の方が遥かに長い若者たち。
勿論僕にも若い時代がありました。
大人になればまだ指導者というものを選ぶことも出来ますが、経験も浅くまだ世界も狭いであろう子供たちには指導者の言うことはある意味絶対的なもの。
だからこそ指導者のマインドセットの中に人生を豊かに送るという最終目的の中にスポーツなどがあるということをしっかりとセットしてもらいたいと思っています。
焦ることは何一つありません。
声を大にして言いたいこと、
それは
「怪我をする前提で何かをすることは有り得ない!」
ということです。
怪我をする前にはなんらかの予兆がある事が多いです。
それを勇気を持って伝えた者に、根性がないなどという者は論外です。
身体を見ているだけで分かるくらいの知識と見る目もあって当然だと思っています。
選手は往々にして頑張ってしまうもの。
意識が高ければ高いほど隠してでも、練習を完遂させてしまう。
そこは指導者が見抜いて、最適解を伝える必要があると考えます。
身体のことは知識だけではどうしようもありません。インプットし、自身の身体で体現出来て初めて解ることも数多く有ります。
また自身の経験だけでは世界が狭い可能性もありますので、様々な分野からも学ぶべきところは学ぶべきです。
1回きりの人生でこの身体はひとつしかありません。
一瞬の栄光の為に身体を犠牲にして、そこからの人生の楽しみを全力で楽しめないのは一人の大人として親としてどうなのだろうかと疑問に思います。
だからこそ
この身体の使い方を研究し尽くした武術の智慧を活用して、本来の身体操作を養う術を伝えていきたいと本気でそう思っています。
もちろん身体のことを学ぶところは僕からでなくて全然構いません。
ただ
知らないことを知らないままに、未来のある若い人たちに無理を強いることは絶対に辞めてほしいと願っています。
そのための協力になら力を惜しむことはありません。
誰もが笑って豊かな人生を送れるいい未来を共に創っていきましょう^_^