身体的自由

「我」は抜けてみて初めて分かるもの

身体の動作一つ一つには、それぞれの意思が宿っている。

これは以前から伝えているコトです。

ここで話す我とは身体操作においての必要以上の過緊張のことであり、つい最近またもや腕や脚に我が入っていることに気付きました。

一度気付いてしまえばその過緊張ははっきりと感じるのですが、その前まではその動作で何にも違和感などはない状態でした。

これがゼロイチが達成した瞬間。

無いと思っていたものが、有ったということ。

これを成長と呼ばずしてなんと言うでしょうか。

コレを自身の身体で発見した時は、身体中に鳥肌が立ち続け動くことを止められなくなりました。

それくらいの歓喜の瞬間であり、これを分かち合いたくて姿勢を伝える事業を始めたといっても過言ではありません。

若き日には河原の真ん中で両手を上げて歓喜の咆哮を挙げていたもありました。

話を発見したものに戻すと

腕を捻るだけで重心移動が起きることに気付きました。

わざわざ重心移動を起こすために力を入れる必要はないということです。

脚も同じく歩くという単純な動作の中にどれだけの我が入っていたのかまざまざと気付かされました。

気付いたあと、それを日常で使う為にはゆっくりしか実用出来ない。

それくらい繊細な動作。

早く動いて手に入れてるのは不可能ではないかと思うほどに。

薄皮一枚一枚を積み重ねる世界。

これが1年経ち、3年経ち、5年経ちそして20年も積み重ねれば想像の遥か先まで進むことが出来ます。

そしてそれは死ぬまで終わらないもの。

だから面白い。

立芯《旅する姿勢家》

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