ギャンブルと聞いてカジノ、パチンコ、競輪、競馬なんかを想像したのではないでしょうか?投機などもこの中に含まれるかも知れませんが、今回の話はそこではありません。「戦う」ことについてギャンブルは出来ない、したくないというお話をしたいと思います。
武術の世界において、時代背景を汲み取ると勝ちと負けは生きるか死ぬかという価値観があります。
もちろんそれを現代において行うという話などではなく、そういった厳しい時代に切磋琢磨しながら後世に遺してくれたものが武術の叡智です。
そんな武術を使用して生死をかけて戦う時に、生きるか死ぬかを50対50で運任せという戦い方はしないと学びました。
そりゃそうですよね(笑)
本当の戦場で生きるか死ぬかをギャンブル任せには出来ない。
当たり前のことだと思います。
どうしてもの場合は除いて、基本的には勝つ確率が高い場合のみ戦うという選択肢が残ります。それ以外は出来るのではあれば逃げる、避ける、それが当たり前の世界観。
ではなぜこんな当たり前の話をしたかと言いますと、スポーツを行なっていた時練習はしますが必ず勝つという核心なく戦っていたなと反省したからです。
ベストを尽くす。
それ自体は何も悪くありません。むしろ推奨されることですし、僕もそうしてきました。
ただ、
本当の意味で勝つということに向き合っていたかと過去の自身を振り返ると、とても甘かったことを思い出しました。
勝つ確率を極限まで上げていたか?
負ける確率を極限までに下げたか?
自身を振り返ってみると
やるだけやったから
あとはなるようになる!
と考えていたように思います。
これでは勝つか負けるかは
その時の運天賦になってしまいます。
それを開き直りとも言えそうですが、戦うことに向き合う姿勢としてはまだまだ甘かったと言わざるを得ません。
生きるか死ぬかをギャンブルに
任せることは出来ません。
試合で勝つということは、
生き残ること。
その位の向き合い方で初めて観えることもたくさんあるでしょう。
今ではそう考えます。
また
この世に絶対はないということも知っています。
ですので出来ることは100%やる。
やりきる。
やりきった先に何が起こるかは本当は神すらも解らないことだと思っています。
その現実を創るのも自分の行動のみ。
最後はギャンブルよりも自分を信じたいと思います。