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努力は過大評価され、判断や方向性が過小評価されている

この言葉はシリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカントの言葉になります。この言葉をどう落とし込んでいくか書いてみたいと思います。

先ずは努力が過大評価されていることについて。

会社員として働いている時、その仕事の密度の濃さというよりかは、どれくらいの時間をこなしていることが評価されていたように思います。

一瞬で終わらせるより、3日間掛けた方がより丁寧に仕事をしたと思われる。

それが続くとどうなるか。

やっている感を出しつつ、時間が過ぎるのを待つ謎の時間。

結果や中身ではなく、どれだけこの仕事に対して努力(時間を掛けたか)したかだと前に進みづらいと考えます。

またスポーツにしても同じく、どれだけ時間を掛けて練習してきたかが今だに蔓延っていると感じます。

出来る限り多く練習し、疲れもとらずにさらに練習を重ねる。

練習の正しさ、身体を正しく知るということに関しては二の次。

悪い身体で、悪い練習を重ねればそりゃ身体も壊します。

その部分に関しては知らないから思考停止しているのではないかとさえ思うほどです。

最大限の努力をする前に、どの様に判断したり方向性を確認したりする方が必ず先だと考えます。

とにかくやれば報われる。

そんなことはありません。

給料の少ない会社でいくらブラックな環境で働いても、貰えるお金はそれまでです。

転職や自分で起業する方が遥かに良い事だって無数にあります。

判断や方向性を定めることが先。

目的地が決まってから初めて努力をするフェーズに移ることをお勧めします。

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