承認欲求とは、他者から認められたいことや自分を価値ある存在として認めたいことを言います。これがゼロとは言いませんが、あまりない理由について書いてみたいと思います。
まず始めに言っておきたいことは、承認欲求が良い悪いということを書きたい訳ではありません。
ただこれが強過ぎるなと思う人がやりがちなことの一つに、自身を認めてもらうために他人を貶める行為をしてしまうことです。
この行為がとても勿体無いと感じます。
そして、その承認欲求が強い者同士が何らかの理由で交わるといずれぶつかり合うということも想像がつきます。
そしてなにより勿体無いと思うことは、
そのことを周りが客観的に見ることによって、自然と大事な人が離れていくという組織を少なからず見てきたことです。
認めてもらいたいと思ってしていることが、余計に認めてもらえなくしている。
これでは本末転倒です。
やりたい事と、成りたい結果が一致していません。
欲求を叶えようとして、叶えられないのでそこで本来は要らないストレスが発生します。
お互いに許容する様な優しい世界で生きるには、まずはここからだと考えます。
他人は他人、自己は自己。
認めてもらおうとする欲はなんの問題もありません。
その欲の叶え方を、その方向性を少し変えたらこの人にはもっといっぱいの方々が集まってくるのになという方が僕から見ても大勢います。
しかもそれを望んでいるのに。
承認欲求がゼロではないと書きました。
ただ生来あまりありません。
それを辿ってみると、他の人に承認されなくとも僕が僕自身を認めている。
それだけでまずは充分に満足しているという部分が大きいです。
他の人に好かれれば人間なのでそれは嬉しいですが、まずは自分。
他人がどう思うかは僕の領域外なのでそこは完全お任せしています。
ただ天文学的な確率で出会い、大切に思ってくれる方がいてくれたらそれは天にも昇る心地なくらい嬉しいです。
でもそれを強要は出来ないものだと考えます。
だから承認を求めない、たまたまそうなれば嬉しいなくらいの感覚です。
争いの種はなるべく作らないほうが良いです。
護身で大事なことの一つに、まずは敵を作らないということもあります。
その理由は無数にありますが、承認欲求の行き過ぎでも敵は生まれます。
これからもより楽しい生き方を模索していきたいと思います。
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