今風で言うと親ガチャとでも言いますか、生まれた家次第で先生になれるかなれないかという時代が確かにあったと思います。その風潮について思うところを書いてみたいと思います。
誰もが先生になれる世界を実現する。
こんな理想を掲げるようになったのには訳があります。
それは普通の家に生まれて、普通に育った者として思う当然のことでもありました。
例えば歌舞伎の世界。
例えば芸事の世界。
例えば武術家の世界。
いわゆる一子相伝の思想の下、血筋で生まれた者にしか、技術や知恵を引き継ぐというチャンスを貰えない世界があります。
一部の限られた人間しか入れない領域がそこには確かにあり、そこの家で生まれたか生まれなかったか。
それだけが全ての別れ道であり、覆すことは並大抵ではない現実を突きつけられました。
文化的な踏襲や武術的な継承もそれに値します。
それを否定する気はありませんし、僕個人がどうこう出来るようなものでもありません。
そのこと自体に感じては、影響の輪の外のこと。
では、そこに生まれなかった者がそのような生き方に憧れてしまった場合はどうでしょうか?
生まれが違ったから諦める?
そういうものだと開き直る?
そんな世界からは目を背ける?
その側で恩恵を受ける?
個人的な考えとしては、たった一度きりの人生にも関わらず上記の問いに対しては納得いく答えは見つかりませんでした。
僕の答えは「否」です。
持たざる者でも、生まれも性別も環境も超えて遥か彼方の高みを目指す。
そのための道を用意する。
全員がステージに上がった状態で、さらに高みを目指す居場所を作る。
そこには、
色々な思想意見などがあるとは思います。
ただ一度きりの人生で、知らない、体験出来ないということは勿体無い。
人それぞれどう考えるかは完全に自由。
であるならば、
どう想い、どう行動するかも自由だと考えます。
それは誰にも否定出来ません。
こう思うからこう行動する。
ただそれだけのこと。
人生を悔なく楽しんでいる人と共に歩んでいく、そんな旗を立てていこうと思います。