人生論

正すことは罰を与えること

「姿勢を正しましょう」

「そこ、直して」

私たちは日常の中で、無意識に“正す”という言葉を使っています。

けれど、この言葉にどこか“罰”のような響きを感じることがあります。

何かが間違っているから、そこを直さなければならない。

いまのままではダメだから、もっと正しい形にしなければならない。

そう思い込んでしまうと、自分自身にも、相手にも、どこか厳しさや攻撃性がにじんでしまうことがあるのです。

わたしは、姿勢を「正す」のではなく、

ただ“本来の姿に還っていく”ことだと考えています。

正すのではなく、整う。

直すのではなく、聴く。

たとえば、肩が上がっているときには、上がっているだけの理由があります。

呼吸が浅いのか、緊張が続いているのか、なにかを守ろうとしているのか。

その声を無視して「下げろ」と言うのは、ある意味で身体に罰を与えることと同じです。

身体は、いつでもわたしたちの味方です。

ただ、生きてくるなかで、無意識に守ったり、支えたり、頑張ったりして、

結果として“いまの姿”をつくっているだけなのです。

だからこそ大切なのは、問いかけることです。

「どうしたかったのか?」

「どこが苦しかったのか?」

その声に耳を傾けることが、丁寧に整えていく第一歩になります。

姿勢も、動きも、生き方も。

“正す”という視点から一歩離れてみると、

そこには驚くほど豊かな「本来の自分」が息づいています。

わたしもまた、今日という日を、何かを正すためではなく、

ただ本来の自分の声を聴くために過ごしていきたいと思います。

立芯《旅する姿勢家》

 

わたしの公式LINEでは、姿勢や身体の声を“正す”のではなく、“聴いて”いくためのヒントをお届けしています。

やさしく在ること、そして自然に整うことに関心のある方は、どうぞこちらからご登録ください。

https://lin.ee/KH3YisY

あなたの身体と心が、罰ではなく慈しみの感覚に包まれていきますように。