身体的自由

武術の狡猾さは美しい

「正々堂々」という言葉があります。

真っ向勝負、真正面からぶつかることが美徳とされる場面もあります。

けれど、武術の世界に深く入っていくと、

その先に、もう一つの美しさがあることを知ります。

それが、「狡猾さ」です。

狡猾というと、ずるいとか、汚いという印象を持たれることもあるかもしれません。

でも、ここで言う狡猾さは、相手を出し抜くためではなく、

力を使わずに無駄なく勝つという、知恵のあり方です。

たとえば、無理に押さず、ただ相手の力に身を任せて崩す。

一見ただ立っているだけのように見えて、相手の隙を呼び込む。

そうした動きには、静かな気配と、深い計算が含まれています。

それは、強さのための狡猾さではなく、

“戦わずに済ませるための知性”としての狡猾さです。

美しいと感じるのは、そこに“ゆるし”があるからです。

相手を否定することなく、必要以上に傷つけず、

それでいて、確かにこちらの芯は通っている。

そんな立ち方ができる人に、わたしは深い魅力を感じます。

この狡猾さは、日常にも通じています。

真正面からぶつかるのではなく、

相手の背景や状態を読むことで、最小限の一言や動きで場を整える。

それは、姿勢の延長であり、生き方の美しさでもあります。

わたしは、そんな狡猾さを育てていきたいと思っています。

表には見えにくいけれど、深く、しなやかで、力強い美しさ。

そこに、武の真髄が息づいていると感じます。

立芯《旅する姿勢家》

 

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あなたの中にも、誰にも見えない静かな戦い方が宿っていきますように。