身体的自由

武術の達人養成家とは?

意味合い的には、概ね技芸・学問の奥義に達している人のことを指す様です。全人類達人化計画とかを進めようとしている僕の定義は少し違うので、このことについて書いてみたいと思います。

僕の考える【達人】とは?

達している人ではなく、達しようと現在進行形で前に進んでいる人のことを指します。

達している人という概念は、僕にとっては何処かに辿り着いてその場で止まっている人と認識しています。

それが良い悪いというものではありません。

あくまで僕個人が目指しているものが、今現在も前を目指して進み続けている人に憧れるという話です。

なので僕もそんな人間になるべくして、日々少しずつでも前進していくようにしています。

積み重ねる事は当たり前の様に積み重ね、新しいことにも心を開いて挑戦し、なんでも一度は咀嚼する。

要るか要らないかは、自身の心と身体に委ねて取捨選択を行う。

例え心と身体が拒否反応を起こしたとしても、頭がそれを必要だと思い判断したならば無理矢理にでも習慣化まで持っていく。

すると思いもよらない変化が訪れる場合も少なくありません。

そんなことを繰り返すことで、視野が拡がり、思考が拡がり、人との縁も拡がっていく。

「水」の様に生きる。

ある時は流れる川の水のように、ある時は嵐の中の海の様に、

姿形を自由に変えながらも、水で在り続ける生き方。

どの技術を使えたから、どの知識を知り得たからそれで終わりでは面白くありません。

変化すること自体がを楽しみながら、常に【進化の途中】。

そんな生き方を見せていくことが出来れば良いなと思っています。

そんな【達人】を養成していく試み。

旅する武術の達人養成家として、今年も前に進みたいと思います。