筋トレをお勧めしない理由の一つとして偏った筋力がついてしまうと、全体のバランスが崩れるというデメリットがあります。今回はこのことについて書きたいと思います。
25年ほど前にウェイトトレーニング、そして筋トレを卒業しました。
理由は二つ。
一つは身体を酷使し過ぎて壊してしまい、それ以上続けれなかったこと。
もう一つはその方法で得る力が要らないということが腑に落ちたこと。
この二つが辞めてしまった大きな要因です。
一つ目の酷使し過ぎたというところは、アスリートあるあるではないかと思うほどに兎に角身体を追いこむことを日課としていた時期がありました。
数値的には大きくもなり、達成感や充実度がとても高かったことを今でも覚えています。
ただ身体操作自体が向上したかというとそれは否と感じていました。
ただそれ以外の方法を知らなかった。
それが真実だと思います。
また筋トレなどはやらなくなること自体が弱くなってしまうとイコールなので、やめるという発想がそもそもない。
延々に追い込み続けなければならない。
やめるときは引退するときのみ。
そんな空気感でした。
しかし身体は生身のもの。
限界を超えれば例外なく壊れてしまうもの。
例に違わずしっかりと壊しました。
ただ、
今となればその経験や体験があったからこそ要らなかったとはっきり言える今があることに、その時の自分を褒めてあげたいくらいです。
身体を酷使し過ぎた先に求める健康体がその先にないと心底思えたことが、筋トレなどから得るものを必要ないと腑に落ちたことに繋がることになりました。
毎朝筋肉痛で起きることが辛い。
トレーニング中も毎回追い込むので、肉体も精神も参る。
そして疲労と偏りにより、パフォーマンスが落ちる。
それを精神力のみでカバーする。
自身の身体を全く観てなかった結果でした。
身体は何を喜んで、何を必要としていたか。
目指すところの進み方が分かるまでは、もがき苦しむ毎日でした。
今は違います。
緩やかではありますが、ず~っと右肩上がりで肉体も精神も技術も確実に上がっています。
そして迷いもありません。
その根拠は、この身体の生まれ持ったバランスを崩さずに日々向上させているからです。
生まれ持った身体のバランスを知る。
そしてそれを何より大切にする。
すると何をやってもどうとでもなるような肉体を手にすることになります。
これは現実の話です。
何かが上手くなりたい時に安易にまず筋トレという方法には、警鐘を鳴らし続けていきたいと思っています。