健康的自由

護身の勧め

ことあるごとに必要性を実感することの一つに護身があります。護身というと護身術というような格好の良いものを思いつくかも知れませんが、実は知るだけで出来ることは沢山あります。今回は普段の心構えにも当たる様な護身を書きたいと思います。

このご時世、護身術というワードを検索すると、闘争の中で如何に生き延びるかという技がよく出てきます。

後ろから襲われたら?

ナイフを出されたら?

腕を掴まれたら?

などなど例を挙げたらキリがありません。

実際本当にあった質問の中に、寝転んで首を絞められたら?というものもありました。

もしそのような状況にどうしようもなくなってしまったら、全身全霊をもって生き延びる為に行動して下さい。

ということが答えの一つになります。

噛み付く、引っ掻く、道具をぶち当てる、刺すそして大声を出すなどなど。

小手先の技術は、おそらくは消えてしまうでしょう。

不意に起こるパニック、

足がすくみ声すら出なくなる恐怖、

怒りという激情そして思考停止。

ありとあらゆるものが不利に働く場面です。

そして正解はありません。

生き残るという可能性の中には、最初は従っていた方が正解の場合も十分にあり得ます。

では日々どの様な心構えで生活をしていれば良いのか。

まずはそういう世界が在るということを知ること。

今の穏やかな日常は当たり前ではないと認識しておくことが第一です。

如何に偶然危険を回避してきたか、護られて生きているのか。

太古の昔から人だけに関わらずあらゆる生物は暴力、略奪、侵略する性は普遍です。

戦争は無くならず、争いは起こり続けています。

まずはそんな前提を知り、その上でどう生きるかという姿勢を作って下さい。

必ず起こりえる事を、思考停止して想定外にしないで下さい。

本当に偶然の偶然でにも生涯なにも危険がなかったのなら、本当に良かったですねというだけです。

先ずは危険に近寄らない。

これは、場所だけの話ではなく環境や人とも繋がる話です。

そこに居て違和感があるのなら、勘がそういって警告しているのかも知れません。

離れる、逃げるは最上の策です。

しかも相手だけでなく、自分も気付く前にそうなると尚良いです。

眼に見えるものだけが真実ではありません。

日々のストレスが蓄積していく事も、生命という視点でいえば危機に当たります。

ただ緊急事態というには、小さ過ぎてその場は耐えられてしまうということが問題ではあります。

何か嫌だな。

そう思ったらそこからは即座に離れることです。

ノールックです。

どうしても護らなければならない存在があり、どうしても避けられない危機のみ最後の最後の手段として闘争があると認識して下さい。

決して戦うことは、最上の策ではありません。

個でどれだけ強くなっても、生きるか死ぬかは50対50です。

少なくとも僕はそう思います。

そして、

健康体で居続ける。

これも護身の一つだと考えます。

逃げる身体が既にボロボロならば、その行為すらおぼつきません。

思考も身体があってこそのものです。

重度の風邪を引いた時に全力で逃げられますか?大声が出せますか?

腰を痛めていて、膝を痛めていて、走って逃げられますか?

日々整えるということは、それだけでも生存確率を上げている事だと思っています。

そういう世界で今現実として生きている。

そして、

その中でいかに豊かな人生を謳歌して暮らしていくにはどうすれば良いのか。

笑って一生を終えるにはどんな備えが必要なのか。

抽象度を上げれば護身はそんな所にも繋がる面白いものです。