身体的自由

護身の解釈を拡げる

「危うきに近づかず」という言葉があるように、先ずはそこにいないということが最大の護身になることがあります。ただこれは、旅行などで危ない場所に行かないとかだけでは勿体無い解釈です。社会全体として使えるように護身の解釈を拡げることについて書きたいと思います。

危険とは暴力のことだけをいうのではないということを提案したいと思います。

例えばブラックな会社。

豊かな人生を送るという意味において、心身を必要以上に削る会社に居続けることは危険な状態です。

耐え続けるという毎日は、本来の感覚を鈍らせ致命傷になるまで何も行動しないという状態に陥りやすくなります。

自身を護るためには、闘うか?離れるか?そんな選択肢があります。

耐えるはあまりお勧めできません。

または家族親族からのハラスメントなども。

それも自身が壊れるくらいなら、近寄らないという選択肢も一つです。

こんな風に、生きている中で様々な障害はあると思います。

それを一つ一つ全てを背負い込む必要は全くないと思っています。

選択肢はいつでも自分自身にあるからです。

それぞれがそれぞれの個性のもと、好きなことやりたいことだけに集中出来る良き環境を整える。

それも護身の一つだと考えます。

この世には生まれつき、必ず絶対に唯一自分だけがやらなければならないことなど、何一つありません。

理由は後から幾らでも追加出来ます。

知らない間に植え付けられた価値観を打ち破るのは中々に大変ではありますが、心や身体のサインを見逃さないようにして下さい。

その場所に行きたくないと心が思えば、その理由が必ずある筈です。

そのことを思うだけで身体が不調になるというのも同じことです。

それがサインであり、そのサインに対してどう反応するかは個人の自由。

戦っても良いし、逃げても良い。

身を護る視野を拡げる。

そんな時こそ、想像している以上に世界は広いということを常に思い出してください。

今の自分を司っているのは、その選択肢を選んでいる自分ということを自覚すること。

なすがままだけでは護身出来ないことが多々ある世界です。

助けを求めることも立派な護身です。

生きてこその豊かな人生。

立芯道場では護身などの概念を伝えているので、必要な方のお手伝いが出来る最高の職場だと思っています。