稽古とは武道、武芸、芸術などを学び、繰り返し鍛錬することとあります。

稽古とはもともと「古(いにしえ)を稽(かんが)える」という意味であり、ただただ練習するのとは違うというのが一般的です。

練習とは、技術や動作を上達するために繰り返すこと。
稽古においては、技術の習得はもちろんのこと、師や先人から学び、その心身や姿勢も磨くこと。

そうした意味としての「稽古」があるならば、僕自身が目指すところは稽古、やはり「稽古」ということになります。

ただの言葉の違いと思われがちですが、その重さ、その深さ、そして一生これを生かすという意味合いで考えるならば、その手段そのものを稽古として習慣化させることが、自分自身にとっても一番良い言語化になるでしょう。

言葉は言霊です。

同じことをやっていて、その密度が上がる方法はどんどん取り入れるべきです。
なぜならば、人生の時間は有限であり、1秒たりとも無駄にすることはもったいないと考えるからです。

そして「稽古」というと、大和の姿勢講座で言えば、和立をしている時だけがそのような時間ではありません。

息をし、食事をとり、遊び、笑い、怒り、泣き、そして寝る。
その「行住坐臥」のすべてが稽古であるならば、一生上り続けることも夢物語ではありません。

登り続けるとは、豊かであり続けるとも同義です。

稽古は一生続けるもの。そう覚悟を決めたものだけが、人生をそのように歩けると僕自身は考えます。

だから楽しい。そして飽きない。
これからもこの世界観を伝え続けていこうと思います。

好きなことを、一生。
今日の一立(ひとたち)が、その入口です。

立芯|身体の土台をつくる姿勢家