新連載企画

【第八章】僕が太郎に託したこと

春の終わり。

河川敷の草が、また少しだけ伸びていた。

風はあたたかく、夕日が川面を金色に染めている。

太郎は、いつもの場所で立っていた。

だが、今日だけは少しだけ胸がざわついている。

(師匠、今日も来るかな……。)

そこへ、背後から静かな声が届いた。

「もう、立ててるね。」

「師匠!」

振り返ると、立芯がいつものように立っていた。

何も変わらない――けれど、なぜか今日はその姿が少し遠く感じた。

「太郎くん、今日は最後の課題を出そう。」

「え、最後!? もう卒業ですか!?」

「うん。今日で“立つ稽古”はいったん終わりだ。」

「……なんか寂しいなぁ。」

「はは。立てるようになった人間に、僕ができることはもうないよ。」

立芯は空を見上げながら、

ゆっくりと話し始めた。

「太郎くん。

“立つ”ってね、自分のためにやるうちは、まだ“修行”。

でも、“誰かのために立つ”ようになった時、初めて“道”になる。」

「……誰かのために、立つ……。」

「うん。

自分が整うと、人は自然と他人を整えたくなる。

それは押しつけでも教育でもなく、“響き”なんだよ。」

太郎は静かに頷いた。

「師匠、それって、姿勢で人を救うってことですか?」

「姿勢で“救う”んじゃない。

姿勢で“寄り添う”んだ。」

太郎の目が少し潤んだ。

風が止まったように感じる。

立芯はふと笑って言った。

「僕が教えてきたのは、“立つこと”じゃない。

“生き方の芯”を思い出すことなんだ。」

「……師匠、最初に言ってましたね。

“たゆまぬ一立に、すべてが宿る”って。」

「そう。

立つって、生きることそのものなんだよ。」

「……でも、師匠。

僕がまた迷った時は、どうすればいいですか?」

立芯は少し間を置いて、穏やかに笑った。

「その時は――立ちなさい。」

「……やっぱり、それか。」

「“立つ”って、迷いの中心に戻るスイッチなんだ。

動けない時こそ、立てばいい。」

太郎は深く息を吸い込み、まっすぐ立った。

川の風が、静かに身体を包む。

「師匠、これからどうするんですか?」

「僕? また、次の誰かに会いに行くよ。

立てなくなった人は、どこにでもいるから。」

「……そうですか。」

「でも、太郎くん。

君がこれから立ち続ければ、もう僕はいらない。」

立芯は、そう言って帽子を軽く押さえ、

ゆっくりと夕日の中へ歩いていった。

その背中は、風と一つになって消えていった。

太郎は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

胸の奥が、じんわりと温かい。

そして、ぽつりと呟いた。

「……俺も、誰かのために立てる人になろう。」

その瞬間、川面に映る夕日が、まるで頷くようにきらめいた。

《第八章の気づき》

人は誰かに支えられて立ち、

いつか誰かを支えるために立つ。

“立つ”とは、命のバトンを受け渡す行為である。

次回【第九章】たゆまぬ一立に、すべてが宿る