情熱と呼ばれる熱量は、知識や経験からは生まれません。今を生きる必死さがその熱量を生むと信じています。

反対の言葉としては冷めるという言葉があります。言葉の通り、気持ちの熱が冷えていってやる気がなくなるような感じです。

しかしなぜそうなるかといえば、必死さが足りないからだと言えます。そうしなくても良い、そうしなくても生きていける環境では必死さは自然と生まれ出てこないでしょう。

必死さとはハングリー精神とも似ていると思います。

何事も熱量から生まれるとすれば、必死に生きることがイコール情熱的に生きると同義です。

日々そうやって生きて、その熱に埋もれて死んでいきたいと本気で思っています。なので必死にすることを探していた時期もありました。

ただそんな時期も姿勢を極める、一生を懸けてという楽しみを見つけた現在は日々必死に前に進もうとしています。

そこには熱があって当たり前です。無理に情熱など生まれてきません。

身体を姿勢を極めることに必死、

極め続ける仲間を探すことに必死、

共に前に進んでいくことに毎日必死です。

それが楽しくて仕方がありません。

熱量が足りないと思う人は、なぜそれを行おうと思うのかそこから見つめ直すとその理由が分かるかもしれません。

本当にやりたいことであれば、それを叶えるために必死に生きていきましょう。

立芯|身体の土台をつくる姿勢家