この問いは、僕の奥底にずっとある問いです。
きっかけは、阪神淡路大震災でした。あの日以来、「明日、死ぬかもしれない」という感覚は、常にどこかに置かれたまま今日まで来ています。だからこそ「今日をどう生きるか」というテーマで、今日は書いてみたいと思います。
「寿命があと1年」と書きましたが、「明日死ぬかもしれない」というのは、僕にとっては日々の前提です。その上で、「もしあと1年で死ぬとしたら、何をするか?」ということをゆっくり考えてみました。
多くの人はこう答えるのではないでしょうか。今やっている何かを捨てる。やりたくないことをやめる。最優先したいことに時間を使う。今までやりたくてもやれなかったことをやる。前向きに考えれば、そういう答えがいくつも浮かんでくるはずです。
けれど、僕の答えは、いつもまったく違う場所に辿り着きます。
捨てたいものがない。やめたいこともない。「これはもうしなくていいのでは?」と思うものも、今のところ一つもない。「やりたいことをやる」にしても、それはすでに現在進行形で、そのただ中を歩いている、あるいはその途上にある。だから、あと1年だと分かったとしても、特別に何かを変える必要を感じません。
一日一立は、そのまま続ける。生活の形も、何一つ変わらない。そういう変化を、そもそも望んでいないというのが本音です。
「死ぬ時が最高で最強」と、僕は常々口にしています。
あと1年あるなら、その「最高で最強」が、ただ1年分、更新されていくだけです。むしろ、この残り1年で自分がどこまで深くなれるのか、どこまで進めるのかが、少し楽しみでさえあります。
もちろん、死そのものへの恐怖が、まったくないわけではありません。
ただそれは、怖いというよりは、経験したことのない未曾有の体験がそこにある、という感覚に近いかもしれません。分からないものへの興味が、僕はどうしても尽きないのです。
ですから、死は「起きるもの」として静かに受け入れる。その上で、今日という1日、今この1秒に、どれだけ本気で向き合えるか――そこだけを見つめていく。これが、物事の本質だと僕は考えています。
ここまで「あと1年」という前提で書いてきましたが、人生を大きく捉えれば、たとえ寿命があと50年だとしても、本質はまったく変わりません。生まれた瞬間、たとえ今赤ちゃんとして生まれたとしても、「あと100年で死ぬとしたらどう生きるか」という問いは、一生ついて回ります。
日々の忙しさの中で何も考えずにいると、死という存在は、どんどん疎遠になっていきます。けれど、この世の中で100%起こることとして、死は必ず全員に訪れます。一人残らず、例外なく。
だから僕は、死を悪いものとして遠ざけません。
「必ずそうなるのだから、今どう生きるか」。この問いに、毎回、きちんと転換する。それを行動の源にしたり、選択の基準にしたりして、使い倒していく。死を避けるのではなく、死を背負った上で、今日を生きる。これが一番健全な付き合い方だと思っています。
全人類、全生物に、死は等しく訪れます。
だからこそ、せっかく生まれてきたのだから、自分のやりたいことをやる。好きなことをする。好きな人と過ごす。楽しく生きる。これができたら、それだけで最高だなと思うのです。
寿命があと1年だとしても、あと50年だとしても、やることは変わりません。
今日を、本気で生きる。ただそれだけです。
あなたの日常が、少しでも深く、芯のあるものになりますように。
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