これは僕自身が20歳ぐらいの時の経験談です。
特に感覚としてそう思うというものなので、誰にでも当てはまるかどうかはわかりませんが、ここに記したいと思います。

当時、身体を鍛えまくっていました。
筋トレと言われるものを行い、大量の食事を取っていました。
筋トレの種類としては自重トレから始まり、ウェイトトレーニングもしっかりと行い、その上、武術の稽古もこなすという異常な日常を送っていました。

1日の稼働時間は9時頃から稽古が始まり、2時か3時頃に終了し、昼食をとった後、ジムに行ってウェイトトレーニングを行い、そのまま続けて武術の稽古を夜22時から23時ぐらいまで行っていました。

その中で一番きつかったのは、体重を増やすことでした。
当時の課題として身体をでかくするということがあったのですが、これだけの稽古量を行っていると、何もしなければ1日に3〜4kg、多い時で4〜5kg落ちることがありました。
そのため、その分以上に食事を取らないとどんどん痩せていくというサイクルになってしまうので、過剰なほど食事をとっていたことを今でも覚えています。

そして当時、風邪をよく引いていたことも覚えています。
「ちょっと風邪気味かも」と思った瞬間からしっかりと風邪を引く、というのを年に何回も繰り返しており、その当時はなぜだか分かりませんでした。

しかし今思えば、疲労を全く抜かず、ひたすら修練を積んでいる毎日。
食事を必要以上に摂って内臓が疲労し、固まっている状態。
そしてそれを年中無休で継続する、休みなしの生活。

健康体とは程遠い状態であり、免疫力が低下していたからこそ、あのように風邪をよく引いていたのだろうと容易に想像がつきます。

その修練の時間などにあっては、周りの環境がそうであったため、特に疑問は持たなかったですが、身体の状態の変化は顕著に出ており、それが間違っているのか間違っていないのかも分からず進み続けた経緯があります。

そしてその予感は的中し、しっかりと身体を壊しました。
具体的には、ウェイトトレーニングの途中でバーベルを持ったまま力が抜け、そのまま崩れ落ちて動けなくなるという状態になりました。

ここから学べるところがいくつもあります:

1. 自分の限界をちゃんと知るということ
2. 今行っているものが健康に直結しているのか、常々疑問に持つということ

あの状態、あの稽古量を今でももし続けていたとしたらと思うと、自分自身でもゾッとします。

当時を振り返ると、これを生涯続けることはできないと思っていた節がありました。
それは努力や根性といった意味ではなく、身体の悲鳴が聞こえていたからです。
若いうちはしょうがないとしても、結局、年を重ねたときにはまた違うものに移行しなければならないなと漠然と考えていました。

しかし、何をすればその道に行けるのかが分からず、今だけを考えて自分自身を追い込む、そんな毎日を過ごしていました。

なので今の状態は幸福だとつくづく思います。
なぜならば、毎日の「立つ」という積み重ねが、自分自身の最終目的である「死ぬときが最高で最強」に一歩ずつ近づいている毎日を過ごしているからです。

あの環境から離れたことにより、本当に風邪を引きにくくなりました。

そして日々の充実感や、これが年を重ねた時に繋がっているという実感をもとに進んでいる毎日。
今ではその道を共に歩こうとする仲間がいるという状況にもなってきました。

これは本当にありがたいと思っています。
これからもっと楽しいステージへ行けるように、これからも突き進んでいこうと思います。

好きなことを、一生。
今日の一立(ひとたち)が、その入口です。

立芯|身体の土台をつくる姿勢家