無駄な動作は見えないもの
思考の癖、並びに身体の動作の癖というものは、余計なものが入ったりする割に自分では気づきにくく、相手からも実は分かられていないというものです。
「なんとなく動作が多い」「なんとなく遅い」という感覚的なものがあったとしても、それを直すには、しっかりと自分自身を見つめ直した上で、その癖を取り除く習慣にまで落とし込まないといけないものになります。
この無駄な動作というものをなくす時に、いい練習法があります。
それは「1つの動作から次の動作へ動く時に、1回で動き切る」というものです。
1回で動き切るとはどういうことか、簡単に説明すると、人はAという形からBという動きに変わる時、1回で変わることはなかなか難しいです。
AからBになろうとして、まごまご動いたり、動いてからもそこで身体を動かして調整したりなどして、ひたすらに身体を動かしていることが多々あります。
要は、1つの動作が完結するまでに何回も動いているとも言い切れるものです。
これを武術の世界では「1つにまとめる」ということを行います。
そうすることによって、5手で動いていたものを1手で動けるようになるという「動作の省略」になり、これが本当の意味での速さにつながります。
達人の方たちがゆっくり動いているように見えるのに相手が何もできない、ということを映像などで見たことがある人もいるかもしれませんが、傍から見ていると遅く感じます。
しかし、当の本人からすれば「気づいたらやられている」「気づいたら近づかれている」と感じます。
これは動作の省略が多く含まれているからこそ見えない、というものです。
これはなかなか数値では測れないものであり、相対的なものとしてそう感じる、といった世界観になります。
こう言っている僕自身も、そういう世界観は昔は嘘だと思っていた節があります。
しかし、目の前でそのような動きをする師匠の姿を見て、本当に存在するのだと知った時には、とても嬉しく、感動したことを今でも覚えています。
無駄な動作とは言いましたが、この無駄な動作自体にしっかりとフォーカスしなければ、そのこと自体が見えてきません。
なので、瞬発力的な筋力の速さをいくら鍛えたとしても、その中に無駄な動作が常に入っていれば、本当の速さには近づけません。
五手をいくら速くしても五手です。
それを一手にしてしまうことによって、相手の思考の外で動くということが可能になりますし、稽古はそのためのものと言っても過言ではありません。
まずは無駄な動作があるということをしっかりと認め、その上でそれをどう無くしていったらいいかということを知り、それをしっかりと稽古して習慣化するまで積み重ねる。
このことが無駄を省くということになり、最小の力で最大の成果・効果を発揮するための一つの答えになります。
好きなことを、一生。
今日の一立(ひとたち)が、その入口です。
立芯|身体の土台をつくる姿勢家



